第128回(平成25年5月31日)

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命がけで登り、下山してきた


 すでに梅雨入りしました。今年は 10 日程早い梅雨入り宣言だそうだ。植物にとっては恵みの雨であるから、四季の一時期を織りなす趣のある時候と捉え、観念して対応するのが、利口な生き様のようだ。

 プロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎さんが世界最高峰のエベレスト( 8,848m )に 80 歳になった今、 70 歳と 75 歳に続いて 3 度目にして最高齢登頂に成功し、無事に下山した。

 記者会見で「人生諦めなければ夢は実現できる。素晴らしい宝物をもらった」「 80 歳はまだ、人生のスタート」などと述べた。私は感動を覚えた。人生の先輩と仰ぎ生きる勇気と元気をもらったように思う。

 先日、岩手県盛岡市に赴いた。全国経済同友会セミナーに参加する為だった。〜復興から始まる新生日本〜「われ世界のかけ橋とならん」というタイトルで議論が交わされた。東北地方へは初めてではないが、東京駅乗り換えで新幹線を乗り継いで行ったのは初めてだった。東北新幹線「はやぶさ」「はやて」は、全席指定で秋田新幹線を途中盛岡で繋ぎ合わせるなど山陽・東海道新幹線と要領が違うため面食らった。主目的だった会議は、ともかく、他の目的としては、津波による被害と復興状態を自分の目で見て確めたかったのでエクスカーション(小旅行)に参加した。

 リアス式海岸が売り物の南北 500km に及ぶ入り江が多く複雑で津波の影響を受けやすい湾が多く盛岡市の東方の宮古市の田老(たろう)地区を視察することにした。「東日本大震災」は平成 23 年 3 月 11 日 14 時 46 分 18 秒発生。マグニチュード 9.0 。震度 7 。宮古市姉吉という所では最大遡上高 38.9m に達し、 200 人の死者・不明者が出た。 1,688 戸が倒壊したという記録が公表されている。

 私が訪れたのは、宮古市田老地区。浄土ヶ浜パークホテルに泊まった。田老地区は過去に明治 29 年の明治三陸地震、昭和 8 年の昭和三陸地震、昭和 35 年のチリ地震津波と周期的に地震津波に見舞われてきた。放射能には直接関係が無いのがせめての慰めである。

 2 年前の平成 23 年 3 月 11 日の東日本大震災と過去に大きな津波の経験があり、先人の知恵でそれ相応の対策を取ってきた。すなわち、防波堤建設に力を入れてきた総延長 2,433m に及ぶ俗にいう万里の長城といわれるような構築物(土手)だが今回の地震では、一部の防波堤が崩れたが、地元の人は、津波に常に襲われる危険にさらされながら逞しく生活されている。

 大震災以前のことを知らない私のような者は、ガレキも取り除かれ更地になっている現実を見る限り、以前の状態を想像し難いのだが「たぬま観光ホテル」の 5 階建のうち 2 階までが、鉄骨だけになったホテルを、津波の怖さを後世に伝えるためにモニュメントとして残すことになっている。津波の語り部が現地説明をしてくれたが、復興して元の状態に戻るにはまだ相当の年月が必要と思われる。浄土ヶ浜を含め三陸復興国立公園(南北 500 kmに及ぶ海岸沿い)として整備が進むことになっている。

 “ガンバロー 日本”“ガンバロー 東北”を掛声に復興が進んでいくことを望みたい。いい体験をした。

          

おかやま適塾

馬場 勉

 

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