第51回(平成23年3月8日)

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カンニングに想う


 世の中はいろいろと騒々しい。世間を衝撃的ににぎわせたが、すでに新聞などの報道は一段落したといえる、いわゆる「カンニング事件」について考えてみましょう。

 その昔、中国には科挙(かきょ)という国の役人(官吏)に登用するための隋(ずい)の時代から清(しん)朝末期までの長きにわたった難しい採用試験制度があった。これが受からないことには、高級官僚になれなかったので我こそはという天才・秀才が受験したのだが、その試験においてもカンニングがあったといわれているから、不正受験の歴史は遠い昔からあった。時代は移り変わっても、いまだに手口や手法は違っても、絶えることはない。

 山形県出身の予備校生が京都大学等を受験するに際して問題文を携帯電話によりヤフー「知恵袋」を通じて広く一般から解答を求めた。ということはインターネット時代を反映している事件であった。

 試験が択一問題であれば、わからない時はあてずっぽうで何れかを選んで当ればよく、当らねば運がなく残念ということだが、そういう類の問題ではなさそうだから、自分の実力で解くことができなければ不合格のうきめにあう。そこで、京大に絶対に入りたい一念で神頼みしたということだろう。

 疑問だったことは、限定された短時間に携帯電話でいとも簡単に一人だけでやりとりできるのかということ。また、試験監督員が多く配置されている中で果たして不正がばれずに可能なことなのかという素朴な疑いがあった。

 被疑者である予備校生を逮捕して事情を聞いたところ、股に携帯電話を隠して左手の親指で入力したということだ。一切携帯の画面を見ることなく親指の操作だけで限られた短時間に問題文を発信したのであった。また、それに応じて解答を寄せる実力者がいたということにも驚いた。

 私見では、京大に入りたい気持が昂じて犯した犯罪だが、まだ19才で先の長い将来のある学生だから許してやればよいと思う。不正行為だが犯罪として処罰するまでもないだろう。

 また、熱心に練習して携帯を見なくて親指だけで入力できる才能というか器用さには敬服する。それだけの熟練を積む努力があれば、世の中に出てもひとかどの人になれる。

 インターネット時代であるから、そういう方面に卓越した才能があれば、別段京大に行かなくても彼の実力を認めて採用したいという企業は結構あると思う。世の中にはベンチャー企業が群雄割拠しており成功すれば億万長者になれる。だから、新しい分野の世界で頑張れば才能が花開くと思う、能力第一主義を標榜する企業が勿論あるから悲観することはない。独立開業だって夢ではない。

 ふと連想するのだけど、ピアノを弾く人、バイオリンやギターを弾く人など、楽譜など見なくても、また、鍵盤など手もとに目をやらなくても難しい演奏をこなしている人がいるではありませんか。やればできるのです。

 試験は公正でなければなりませんからカンニングをすればダメに決まっていますが、別の見方をすれば、手段・方法において万人が真似のできない特殊才能が磨かれているのだから、他の世界で才能を活かして生きぬくことはできるのです。しからば、失望せずこれからの長い人生を歩んでもらいたいものです。

 ところで、解答をよせてくれた善意の方の解答は正解だったのでしょうか、短時間に答えを返信できる素晴らしい才能の持ち主がいるということは、技術立国を誇る日本国民として頼もしい限りです。そういう人材を使いこなせていない日本社会はもったいないと思います。日本人の才能とか能力はまんざら見捨てたものではありませんね。私にとっては、インターネットなどの文明利器には無縁でさっぱりできないため猫に小判の状態ですが…。

 

おかやま適塾

馬場 勉

 

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