今日から 6 月に入った。 5 月は総会が集中する時期であったため、平素ご無沙汰している各々会へできるだけ出席するようにした。
世の中の状況を知るためと、懇親会で知人・友人・未知の人と話すことができるのは楽しみであり、喜びでもあった。一番印象的だったのは、 85 才ながら理事長を務める勇姿に感動するとともに、私との年齢差は相当にあり、私はまだまだ先が長いと感じたところである。理事長は岡山だけでなく、全国の御偉方として東京において活躍中。岡山発の全国区の役員のため、岡山人としては、誇らしいところである。
ひとまず総会は一段落したが、 6 月にはまだ後発組があるので完全に終ったということではない。楽しみがまだ残っているというところ。
来賓の挨拶の中で話題になったのは、今秋、県知事選があること。それとなく事前運動らしきものがあったりで、すでに岡山県は選挙ムードが盛り上りつつある。岡山をなんとかしてほしいものである。民間の動きは、かなりしっかり活性化に向けて活動中であるから、地域が元気になるように行政の応援かつ支援を期待したいところである。とにかく、強力にかき混ぜて経済力をつけてほしい。
4 月末から入会した近くにあるスポーツジムへは、 5 月中休まず皆勤した。休みたいと思ったときも正直なところあったが、休まずジムへ。夜は、結構忙しかった。昼間は、仕事があるから時間が取れるとしても、勤務中の外出は現役のため罪悪感がよぎるものである。
6 月以降は、生活の中にとけこませて無理をせずにジムで体を鍛えようと思っている。ジムへ通った結果どうなったかだが、体重は下がってもすぐ元に返るから、あまり期待できない。体重を減らすのは、やはり食べる量を減らすのが一番効果的であると悟った。ただ、肩・腰・足の筋力が付いたためか姿勢はすこし良くなったような気がする。意識的に歩く姿などに気を使うようになったことが良かった点かと思う。
先日( 29 日)、 100 才の新藤兼人(しんどうかねと)映画監督が老衰のため亡くなった。 100 才になっても、元気かつ仕事に情熱を傾けていた姿は、国民に勇気と希望を与え続けた。惜しい人を無くしたが普通の人は 100 才までなかなか生きることができないのだから、大往生であった。有意義な一生だったと思われる。
人は必ず死ぬが、死なないで生きている人もいる。すなわち、新藤兼人さんは、肉体は死んでも永遠に生きている人だと考える。すなわち、多くの優れた作品が後世の人に感動をもたらし、教訓を与えることができるからだ。
例えとしては、恐れ多いが空海(弘法大師)が、今でも生きていると信じられ御廟に毎日食事が捧げられていることを考えれば、人々の心の中に生きているのである。新藤さんは、作品と共に永遠に人々の心の中に生き続けることであろう。
今回は、このあたりで取り急ぎ終りにします。
おかやま適塾
馬場 勉 |